数学者と物理学者のものの見方の違い

最近,標題について感じた出来事を記録のために書いておく.


1.先月末に,日本数学会日本物理学会の合同シンポジウムがあった.

 初日の合同講演会のある発表に対する見解の相違:
  物理学者: 準備が不十分.あれだけの聴衆がいるのに,ひどいのでは...
  数学者 : 結構,良かった.(準備がひどいと聞いたと尋ねると...)えー,そうかな??


2.上のシンポジウムとは別の私の発表で,よく聞かれる質問.

 ある微分方程式に対する見解の相違:
  物理学者(質問):そのyとxは,どんな物理量を表すのですか?
  数学者 (返事):微分方程式を解くときに,そんなこと考える必要あるんですか?

最近,KYという言葉が一部ではやっているらしい.「空気が読めない」という意味とのこと.
上の後者の例は,KYかもしれない.


最近の科学において,数学と物理を区別することは無意味だと思うし,あまり好きではありません.
(人,特に,日本人は相手を分類したがるように思います.どんな範疇・グループに入る人なのか...と)
それよりも,両者の見解の相違を超えて,共通の理解や目的を達成するには,
どうすればいいのかを考える必要があるように思います.


小林秀雄が,各科学者が自身の研究における考え方によって,
自分の考えがいかに束縛されているかを認識する必要があることを問うています.

その指摘は,今でも重要だと思いました.